トラウトフィッシングが釣りのポリシーを与えてくれた

子どもの頃から釣りに親しんできましたが、現在のような釣りに対しての意識や魚に対する気持ちを確立できたのはトラウトフィッシングがあったからだと思っています。どなたかが釣りに興味を持っていただけるきっかけとなるかもしれませんので、そこに至るまでのことをここに書き留めておきたいと思います。

水辺はいつでもすぐそばに

私が釣りをするようになるまでには、時間はかかりませんでした。東京ではありますが山の近く、川が流れる場所で育った私は、当たり前のように山で遊び、川で釣りをするようになっていました。

また、祖父母が利根川上流部にすんでおり、夏休みともなれば必ず遊びに行き川遊びを楽しんでいた幼少時代がありました。切り出した竹竿で釣りをする、泳いでは魚を捕まえる、捕まえた魚はその場でさばき火を起こして料理する、そんなことを父より教えられたのもです。

東京で育ったとはいえ、こうした野山での屋外活動は、自然豊かな地域の子どもたちと変わらないほどだったと思います笑。

そうした経験から大学時代で一つのピークとなりトラウトを追いかけることになります。行ける範囲は全て行ったと言えるほどの地域を周り、たくさんの魚たちに出会うことができました。

トラウトフィッシングでの貴重な体験

私はルアーとフライ専門だったため、ゲームとしての釣りを楽しんでいました。標高・気圧・季節・天候・エサとなる虫の状態などから戦略を立てて釣る。これが楽しくてたまらなかったのです。

崖を下り、草木を分けて入ったポイントで、思った場所にルアーが入った瞬間、流れの中でギラッと魚体が翻える…木の枝や岩を避けキャッチした一匹の美しさにはうっとりしてしまいます。「有難う」そんな一言が自然と出てくるのです。

トラウトの個体自体が少ないため、大事にキャッチし大事にリリースする、自然とそうなっていきました。そうすれば、またきっと誰かを楽しませてくれるのですからね。

私の釣りのスタンスはこのトラウトフィッシングを通して確立したものです。自ずと環境への意識もするようになり、魚たちへ敬意を持つようになります。これは本当に良い経験となっています。

自然の場所には「お邪魔させてもらう」

山へ釣りに入るのはなかなか敷居が高いもの。深く進めば進むほど増して行くのは恐怖心。警戒しなくてはならないものが増えていきます。

しかしそこに広がるのは日常では見ることのできない美しい渓流域の景色。聞こえてくるのは流れていく水の音と鳥の優しい声。何時間でも眺めていられそうです。釣りは釣る事だけではないのですね。

そんな景色を一度でも見てしまえばきっと思うはずです、この森を守りたいと。そしてそこに泳いでいる魚たちがずっと元気でいられるようにと。

私たちが自然のある場所へ赴くとき、それは「遊びに行く」ではなく「お邪魔させてもらう」ことだと気付かされます。

たくさんの人に楽しんでもらうために

こうした感覚を経験した人であれば、釣り場にゴミを捨てない・むやみに魚を獲らない・同じ釣り人に不快な思いをさせない などのことは自然にクリアできる事であると考えています。

まずは自分から。

そう心掛けて釣りを楽しむ事でまた新しい景色が広がって行くと思います。

最後に

ちょっと堅苦しい話になりましたが笑、自分はこんな風に感じながら釣りと歩んできました。人それぞれの感じ方と取り組み方があって良いと思います。

これからも良い環境がたくさん残ると良いなと考えています。ずっと楽しく釣りをしていきたいですからね!